• 2014年10月16日

☆2014年アメリカ合衆国のサンデイエゴとグランドサークルの旅☆

今年の夏、我が家は久しぶりにアメリカ合衆国(USA)の家族旅行を行った。今回はUSAの砂漠と荒野をレンタカーで駆け抜けるという大旅行だった。走行距離は1700km(上福岡と新潟を約3往復の距離)に及んだ。我が家は約20余年前にUSAに留学していた。夏休みなど長期の休暇には飛行機は使わずというか使えず、もっぱら車で旅行した。USAは高速道路の料金がかからずガソリン代も安いので若い研究者でお金のない私たちには最適の旅行手段であった。今回もその古い記憶が呼び起こされ車で旅することにした。留学当時 研究室のボスのハース教授から「砂漠に旅行するときは排気量の大きい車で水と油を切らさないように十分持って行かないと死に直結する」と戒められ、その教えを守り当時はLexisクラスのfull sizeを借りスーパーでスイカを買って旅行した。実際、砂漠では40度を超えるので車がエンストを起こしエアコンが切れたらたちどころに熱中症になる。今は昔と違いケータイ電話が砂漠の真ん中でも使えるのは救いだが街から何百キロも離れた砂漠のどまん中ではすぐ助けにきてくれる保証はない。昔は子供たちも小学生前後で小さくfull sizeで十分であったが、あれから20余年子供たちも成人し家族も増えたのでワンランク上のpremium sizeにした。レンタカー会社Alamoから渡された車はアメ車のシボレーの2500ccクラスだった。Alamoを意気揚々出発したものの、久しぶりの右側通行になれずサイドブレーキがないのに慌てて早々Alamoにもどり操作方法を聞き直した。アメ車ではサイドブレーキがない車があるらしい。車が自分の体と一体化し車体の大きさが体感できるようになるまでに数日を要した。 運転は特に交差点での左折が難しかった。USAは右側通行なので、左車線に入らないよう「右側通行、右側通行」と念じながらハンドルを切った。今回も水の確保にスイカを買った。USAはスイカが安い、スーパーでは1個が3?5ドル、日本円で300円から500円で日本のものよりやや大きい楕円形のものが買えた。
 最初に訪れたのはアメリカ合衆国((USA)の西海岸の南端でメキシコに接する街、サンデイエゴ。この街はUSA屈指のリゾート地であり、また、研究都市でもある。ここ カリフォルニア大学サンデイエゴ校で昔研究生活を送った。懐かしい病院を表敬訪問してきた。(写真1)
 次に2日かけてモハーヴェ砂漠(Mojave Desert)を越えてセドナにたどり着いた。ここの山々は、赤褐色の岩山で近年パワースポットとして有名になった。赤土には鉄分が多く含まれその分岩石の比重が重く、重力場が歪んでいるらしい。それがパワースポットの所以かもしれない。昔からアメリカ先住民(インデイアン:インデイアンという呼称はアメリカでは差別用語で使われない)の聖なる地としてセドナの山々は畏れ敬われてきた。我が家は到着翌朝 1時間かけて聖なる山の頂に立った。空は宇宙から地球の青さの青、水蒸気の白が抜けた青、大地は褐色、静寂に覆われ確かにパワーを感じた。(写真2)山頂へは脱水にならないよう各自1リットルのペットボトルをもち、山から下りて駐車場横にあったベンチテーブルでスイカを割って食べた。周囲のアメリカ人は面白そうにこちらを見ていた。我が家も好奇心旺盛の方だがアメリカ人は我が家に増して好奇心旺盛であった。
 午後からは半日かけてモニュメントバレーに向かった。この地は留学の頃一度だけ訪れてもう二度と来られないだろうと思っていた。日が沈む直前に到着した。ここも赤土の大地だが台形に聳える奇岩が有名で、あのジョン・ウエインの有名な映画「駅馬車」の舞台になったところだ。景色を眺めていると今にも開拓民の幌馬車と馬で追いかけるアメリカ先住民の一団、幌馬車を助けようとする騎兵隊が岩陰から姿を現しそうに思えてくる。(写真3)
 近いうちにまた訪れようと思いつつ、翌朝にはラスベガスに向かった。昔もそうであったように1日かけて走り続け夜に到着した。ラスベガスはカジノとショービジネスで潤っているので、食事とホテルが安い。ラスベガスに着くとバイキングの美味しい料理をたらふく食べて、その後は旅の疲れからデラックスな部屋でぐっすり眠った。カジノができずに旅が終わったのもまた、若き頃の旅行と同じであった。

写真1(写真1)

写真2(写真2)

(仮)写真3(写真3)

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